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千葉地方裁判所 昭和52年(ワ)458号 判決 1985年10月22日

原告

東山博

原告

東山恵津

右原告ら訴訟代理人

葉山岳夫

黒田寿男

長谷川幸男

西村文茂

菅野泰

坂入高雄

井上正治

近藤勝

大川宏

中根洋一

増田修

木村壮

田村公一

植村泰男

仲田信範

助川裕

森谷和馬

熊谷裕夫

近藤康二

前田裕司

北村行夫

大室俊三

鈴木俊美

被告

右代表者法務大臣

島崎均

右訴訟代理人

武内光治

右指定代理人

松本克己

外一五名

被告

千葉県

右代表者知事

沼田武

右訴訟代理人

石川泰三

岡田暢雄

吉岡桂輔

国生肇

右訴訟復代理人

秋葉信幸

高橋省

右指定代理人

加瀬貴美

外六名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

被告らは原告らに対し、各自金四六九〇万三六一〇円及び、これに対する昭和五二年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  被告ら

主文同旨。

三  被告国

仮執行宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一請求原因

1  当事者

(一) 原告ら

原告東山博(以下、原告博という。)は、本件事件により死亡した亡東山薫(当時二七年、以下亡薫という。)の父であり、同東山恵津(以下、原告恵津という。)は亡薫の母である。

(二) 被告ら

被告国は、警察庁を設置し、これを管理運営するものであり、被告千葉県(以下、被告県という。)は、普通地方公共団体であつて、千葉県警察を設置し、これを管理運営するものである。

2  本件事件の発生

(一) 事件発生前の状況

(1) 鉄塔除去の仮処分の執行

新東京国際空港公団(以下、公団という。)は、昭和五二年五月二日、千葉地方裁判所に対し、三里塚芝山連合空港反対同盟(以下、反対同盟という。)を債務者として、千葉県山武郡芝山町岩山所在の鉄塔二基の除去を求める断行の仮処分申請をなしたが、該申請は、騒音、アクセス、燃料輸送、空域、飛行コース等の難問が山積し、同年中の新東京国際空港(以下、空港という。)の開港は不可能な客観的情勢にあることを熟知しながら同年における開港のための緊急性があるとの虚構の事実に基づいた違法なものであつたのに、同裁判所は、債務者側代理人からの口頭弁論若しくは審尋施行の事前要請を無視し、審尋すら行なわず、開港のための緊急性のないことを知りながら、右の申請を容れて同月四日、鉄塔二基の除去を命ずる仮処分決定を下し、千葉県警察と公団は、綿密な事前打合わせのうえ、同月六日午前三時ごろ、まず、千葉県警察が航空法違反を理由とする捜索、検証と称して鉄塔二基に立入り、鉄塔に塔乗していた者を排除したうえ、同日午前八時三〇分ごろ、公団は右仮処分の執行として鉄塔二基の除去作業を開始し、同日午前一一時三〇分ごろ執行を完了した。

(2) 違法警備の準備とその意図

右の違法な仮処分決定を闇打ち的に執行した公団及び千葉県警察は、反対同盟側の抗議行動を恐れていたものであるが、警察庁、関東管区警察局は、千葉県警察を指揮し、千葉県下はもとより関東一円、更には東北、近畿等から機動隊を動員し、反対同盟主催の抗議集会の開かれた昭和五二年五月八日には四〇〇〇人を超える警察官を結集した。

そして、当時警察庁長官であつた訴外浅沼清太郎(以下、浅沼という。)、関東管区警察局長であつた訴外勝田俊男(以下、勝田という。)及び千葉県警察本部長であつた訴外中村安雄(以下、中村という。)らは、右の抗議集会の警備実施に当り、大楯、小楯、警棒、ヘルメット、出動服を着用、着装した完全装備の機動隊員に放水銃、催涙ガス銃を携行させ、集会に参加する空港建設反対の農民、労働者、学生、市民らを徹底的に弾圧せんと企て、催涙ガス銃を至近拒離で水平発射した場合には、人に命中させて死亡させることもあることを認識、予見しながら警察官職務執行法(以下、警職法という。)第七条の武器使用の要件の有無に考慮を払うことなく、敢えて催涙ガス銃による催涙ガス筒の水平発射をその指揮下の多数の警察官に指示し、当時千葉県警察本部警備部参事官として警備実施現場における統括的指揮官であつた訴外山形基夫(以下、山形という。)及び同警備部第二機動隊隊長として警備実施の現場において第二機動隊員らを指揮監督していた訴外海野卓二(以下、海野という。)は、右指示に基づき警備実施の現場においてそれぞれの指揮下の催涙ガス銃射撃手に対し、催涙ガス銃の水平発射を指示した。

仮に、そうでないとしても、浅沼、勝田、中村、山形及び海野ら(以下、浅沼ら警察幹部という。)は、平素からないしは事前または警備実施の現場において、新型ガス銃を使用する警察官に対し、直接ないし間接的に、その使用に当つては警職法第七条の規定に則り、事態に応じて合理的に必要と判断される限度において慎重にすべきである旨指導、指揮、監督すべき注意義務があるのに、右指導、指揮、監督をしなかつた。

(3) 亡薫の行動

亡薫は、前記抗議集会が開催された昭和五二年五月八日、千葉県山武郡芝山町大里七〇番地斉藤晴方(以下、斉藤方という。)に設置され、その入口両側に「野戦病院」、「赤十字」等と記した旗を立てた救護所であるいわゆる臨時野戦病院(以下、野戦病院という。)内において、警察機動隊の違法な過剰警備活動によつて負傷した者の救護活動に従事していたが、全く兇器も所持せず、ヘルメットも被らず、一見していわゆる戦闘員でないことがわかる格好で、野戦病院の救護班員で違法行為の挙に出るものではないことを示す「野戦病院」、「赤十字」等と表記したゼッケンやヘルメットをつけた者らと斉藤方入口付近で横一列にスクラムを組んで、野戦病院内に乱入しようとしていた国道上の千葉県警察本部警備部等二機動隊、埼玉県警機動隊その他の機動隊に対する阻止線を張り、口々に「ここは野戦病院だ。入るな。」と叫んでいた。

(二) 本件事件の発生

そして、機動隊側の放水車が野戦病院前の国道二九六号線上にいた反対同盟側の学生らに向つて西側から放水を開始したため、学生らが同国道上を東側に後退し、野戦病院を設置した斉藤方入口付近が空白状態となつた直後の同日午前一一時二五分ごろから三〇分ごろまでの間において、右入口から西側方向の同国道上ないしその周辺にいた新型ガス銃の射撃手の任務を担つた警察官(以下、加害警察官という。)が、左斜め前方約五メートルないし二〇メートルの至近拒離から右入口付近において軽くスクラムを組んで阻止線を張つたまま、野戦病院裏側から侵入してきた機動隊員の動静を見ようとして身体を左側に寄じつて右肩を北側にして顔を後方の左肩の方に約九〇度回した格好となつた亡薫の後頭部付近目がけて新型ガス銃を水平撃ちし、亡薫の右後頭頂部に新型ガス筒を命中させて横ざまに昏倒させ、その結果、亡薫に対し右後頭部頭蓋骨陥凹骨折、開放性脳損傷及び脳挫傷の傷害を負わせて意識不明(脳死)の状態に陥入らせ、同月一〇日午後一〇時一四分千葉県成田市飯田町九〇番地の一所在の成田赤十字病院において死亡させた。

(三) 投石による受傷の不存在

亡薫の頭皮及び頭蓋骨の損傷状況からすると、成傷器は、先端鈍円、鈍稜の半球状で衝突作用面の外周が円形又は楕円形を呈する物体であり、反対同盟側の投石した石塊は砕石であつて磨耗されていず、角は尖鋭で、凹凸も激しく、稜も鋭角であつて、亡薫の後頭部の損傷状況から推断される成傷器と全く適合せず、しかも、亡薫の受傷当時の現場の状況をも考え合せると、投石によつて亡薫が負つた傷害を発生させるためには、斉藤方の内部の庭からの投石では、方向が異なり過ぎて無理であり、また国道上からの投石では、プロ野球の選手並みの者が助走したうえ、アンダースローで反対同盟側の最前列ないしそれに近い位置から投てきする以外には考えられないが、その場合には、真横に近い方向に投げなければならず、警察機動隊に向けての投石にしてはあまりに方向が違い過ぎるうえ、力学的観点からみても、亡薫が負つた傷害を生じさせるためには、成傷器それ自体が約一〇〇ないし一四〇jouleプラスアルファーのエネルギーを保有していなければならないところ、投石の場合の保有するエネルギーは、重さ二〇〇グラム、飛翔距離一〇ないし五〇メートルの石で約二四ないし五六jouleであり、重さ等条件の異なることがある点を考慮しても到底亡薫が負つた傷害を生じさせるのに要するエネルギーには到底及ばず、亡薫の受傷が投石による可能性はなく、その受傷状況からすると、新型ガス筒が成傷器として最も適合性を有し、新型ガス筒の保有するエネルギーも飛翔距離一〇ないし三〇メートルで約一五八ないし二六四jouleであつて、亡薫の負つた傷害を生じさせるのに要するエネルギー量を上回つており、また、現場における目撃者の供述とも一致する。

(四) 加害者警察官の意図

加害警察官は、新型ガス筒が当れば人を殺傷することを認容しながら、敢えて亡薫の後頭部を目がけて至近距離から新型ガス銃を水平撃ちしたもので、殺意があつた。仮に、殺意がなかつたとしても、加害警察官は、新型ガス筒の命中部位、射程距離、命中角度によつては人を殺傷する性能を有することを認識し、ないしは容易に認識し得たのであるから新型ガス銃の使用については警職法第七条の規定に則り、事態に応じて合理的に必要と判断される限度において慎重にしなければならない高度の注意義務があるのに、これを怠たり、漫然と人のいる方向に向けて至近距離から新型ガス銃を水平撃ちしたもので、少なくとも重大な過失ないしは過失があつた。

3  責任

被告国は、当時、その公務員であつた浅沼、勝田及び中村が本件警備活動の指示、指導という公権力の行使としての職務上の行為を行うについて、被告県は、当時その公務員であつた山形、海野及び加害警察官が右浅沼らの指示、指導に基づき本件警備活動の現場における指揮(山形、海野)それに基づく警備活動(新型ガス銃の水平撃ち、加害警察官)という公権力の行使としての職務上の行為を行うについて、それぞれ前記の故意または重大な過失ないし過失によつて、亡薫及び原告らに対し、違法に後記の損害を加えたものであつて、被告らは、国家賠償法第一条第一項、民法第七一九条に基づき右損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 逸失利益 金六一五七万一四九六円

(1) 亡薫は、昭和二四年六月七日生れの健康な男子で、本件事件当時、大和自動車株式会社江東営業所にタクシー運転手として勤務し、昭和四九年度金一五一万八八六二円、同五〇年度一七〇万三一四五円、同五一年度金一九九万九〇七五円の給与(賞与を含む)を受け、給与昇給率は年一〇パーセントを下らないから本件事件時である昭和五二年度の亡薫の収入は少なくとも金二一九万八九八二円となる。

(2) そして、亡薫の健康状態からすると、亡薫は、本件事件により死亡しなかつたならば、なお四〇年間は同社ないし他社のタクシーの運転手ないしは個人タクシーの運転手として就労可能であつた。

(3) ところで、亡薫の逸失利益算定の基準収入額を昭和五二年度分の金二一九万八九八二円に固定すると、前記の昇給率は、逸失利益の現価額算定の際に控除すべき中間利息率年五パーセントを上回るから亡薫の逸失利益の現価額を算定するに当つて中間利息を控除する必要がないというべきである。

(4) 従つて、亡薫の生活費として収入の三〇パーセントを控除して亡薫の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、金六一五七万一四九六円となる。

2,198,982×(1−0.30)×40=61,571,496円

(二) 慰謝料 計金二〇〇〇万円

亡薫は、本件事件時、警察機動隊の違法な過剰警備によつて負傷した者の救護活動に従事し、野戦病院入口でヘルメットも着用せず、スクラムを組んで警察機動隊の侵入を阻止していたに過ぎないのに、加害警察官が新型ガス銃を使用して亡薫を殺害したもので、その違法性は極めて強く、亡薫及び原告らの蒙つた精神的苦痛は、はかりしれず、金銭をもつて慰藉することはできないが、敢えてそれを金銭に算定するとすれば、亡薫の慰藉料としては金一〇〇〇万円、原告らの慰藉料としては各金五〇〇万円を下らない。

(三) 相続

原告らは、亡薫の父母であつて、亡薫の前記逸失利益金六一五七万一四九六円及び慰藉料金一〇〇〇万円の各債権を二分の一の割合で相続した。

(四) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人に本件訴訟の遂行を委任し、その報酬としてそれぞれ請求金額の一五パーセントすなわち各金六一一万七八六二円を支払う旨約した。

5  結論

よつて、原告らは被告らに対し、各自金四六九〇万三六一〇円及びこれに対する本件事件(不法行為)発生の日である昭和五二年五月八日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払いを求める。

二請求原因に対する認否

1  被告ら

(一) 請求原因1の(一)の事実は認める。

(二) 同1の(二)の事実のうち、被告国が警察庁を設置し、被告県が普通地方公共団体であることは認めるが、その余の事実は否認する。

警察庁は、国家公安委員会に置かれ、同委員会が警察法第五条第一項の任務を遂行するため同条第二項に掲げる事務について警察庁を管理するものであり、千葉県警察も千葉県公安委員会の管理の下に設置されているもので被告県が管理運営するものではない。

(三) 同2の(一)の(1)の事実のうち、公団が昭和五二年五月二日千葉地方裁判所に対し、反対同盟を債務者として千葉県山武郡芝山町岩山所在の鉄塔二基の除去を求める断行の仮処分を申請したこと、同裁判所が右申請を容れて、同月四日鉄塔二基の除去を命ずる仮処分の執行がなされ、鉄塔二基が除去されたことは認める。

(四) 同2の(一)の(2)の事実のうち、浅沼が当時、警察庁長官、勝田が関東管区警察局長、中村が千葉県警察本部長、山形が千葉県警察本部警備部参事官、海野が同警備部第二機動隊長であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同2の(一)の(3)の事実のうち、当時、国道上に千葉県警察本部警備部第二機動隊、埼玉県警機動隊の機動隊員がいたことは認めるが、亡薫が昭和五二年五月八日斉藤方にいたこと、亡薫が全く兇器も所持せず、ヘルメットも被らなかつたことは不知。その余の事実は否認ないし争う。

(六) 同2の(二)の事実のうち、亡薫が昭和五二年五月八日午前一一時三〇分前後ころに右後頭部頭蓋骨陥凹骨折、開放性脳損傷及び脳挫傷の傷害を受け、同月一〇日午後一〇時一四分千葉県成田市飯田町九〇番地の一所在の成田赤十字病院において死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

警察機動隊側の放水車が放水を開始した前後ごろは、斉藤方入口付近をはさんだ国道上において反対同盟側が警察機動隊に対し、一進一退の攻撃を加えていたものであつて、そのころ、斉藤方入口付近が空白状態になつたことはない。

(七) 同2の(三)の事実のうち、成傷器が先端鈍円、鈍稜で突出した物体であることは、認めるが、その余は否認する。

亡薫の受傷の成傷器は、石塊であり、新型ガス筒ではない。

(八) 同2の(四)の事実は否認ないし争う。

(九) 同3の事実のうち、浅沼、勝田及び中村が被告国の、山形及び海野が被告県の各公務員であることは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(一〇) 同4の事実のうち、(一)の(2)の事実中の亡薫が死亡したこと、(三)の事実中の原告らが亡薫の父母であることは認める。同(四)の事実は不知。同(一)の(1)、(2)のうち、亡薫が死亡した点を除く、その余、(3)、(4)、同(二)、同(三)のうち、原告らが亡薫の父母であることを除く、その余はいずれも不知ないし争う。

2  被告国

請求原因2の(一)の(1)の事実のうち、千葉地方裁判所が公団の仮処分申請を認容するに当つて審尋を行わなかつたことは認めるが、その余(前記1の(三)において認める事実を除く。)は不知ないし争う。

3  被告県

請求原因2の(一)の(1)の事実のうち、千葉県警察が鉄塔二基に立入つたことは認める。千葉県警察と公団が綿密な事前打ち合わせをしたこと、千葉県警察が捜索、検証と称して鉄塔二基に立入り、鉄塔に塔乗していた者を排除したことは否認するが、その余(前記1の(三)において認める事実を除く。)は、不知。

千葉県警察が鉄塔二基に立入つたのは、航空法違反容疑による検証のためである。

三被告らの主張

1  昭和五二年五月八日の警備計画等

(一) 千葉県警察は、昭和五二年五月八日に予定された反対同盟主催の抗議集会に対する警備実施のため、その前日である同月七日夕刻、空港内において千葉県警察本部長である中村ら同本部幹部及び同本部麾下の各警察部隊幹部合計約二〇名の出席のもとに警備会議を開催し、警備方針として①空港及びその周辺の平穏を守ること、②違法行為の未然防止及び違法行為が発生した場合には早期に鎮静化を図ること、③違法行為の防止または鎮静化を図るに際しては、違法行為者、警察官、付近の住民等のいずれにも死傷者を出さないよう最善の措置をとることを定め、警備体制としては埼玉県警察等の応援部隊を含めて約四〇〇〇名の警察官をもつて警備することとし、その部隊配置も、右抗議集会会場付近の空港第五ゲートを中心として各ゲート及び仮処分の執行により撤去された鉄塔二基の台地周辺、燃料基地等のゲリラ攻撃を受け易い空港関係施設の防衛を基本に据えたものとし、配備警察官の装備もヘルメット、大楯、催涙ガス筒、放水車、消火器といつた通常警備の装備をもつてすることを決定したに過ぎず、催涙ガス筒の水平発射を指示したことはない。

(二) 右の警備方針及び警備計画は、千葉県警察において独自の立場で立案、法定したものであつて、千葉県公安委員会が他の都道府県警察に対する援助要求のため予め警察庁や関東管区警察局への必要事項を連絡したことはあるが、五月八日の警備実施について警察庁及び関東管区警察局から指示、命令を受けたことも、協議したこともない。このことは、法制上、警察法第七一条所定の緊急事態の布告がなされたとき同法第七三条により警察庁長官及び管区警察局長が都道府県警察の長を指揮命令するといつた特殊例外的な場合を除き、各都道府県警察が同法第二条所定の警察の責務を行うものとされている(同法第三六条)ことからして当然のことであり、右の警備実施につき、警察庁長官であつた浅沼や関東管区警察局長であつた勝田が右の警備方針及び警備計画の立案、決定はいうに及ばず、その実施にも関与しなかつたことは明らかであり、同人らが違法警備の事前謀議を行つたことは全くない。

(三) 更に、催涙ガス筒の使用についても、「催涙ガス器具の使用及び取扱いに関する警察庁の訓例」等に則つて使用することとされており、千葉県警察では、警察官に対し、催涙ガス筒を使用する場合には、通常警職法第五条の犯罪の予防、制止権を根拠とし、同条所定の要件を具備することを十分確認しながら緊急の場合を除き部隊指揮官の指示、命令に従つて使用すること、使用に先立ち、相手方に警告を発したり、第三者に対する影響を最少限度に止めるように配慮する等のことを日頃から指導していたのであつて浅沼、勝田、中村らが本件警備実施に従事した警察官らに対し催涙ガス筒の使用を慎重にすべく指導、指揮、監督することを怠つたことはない。

因みに、催涙ガス筒は、本来、警職法第七条の武器ではないが、危険が発生する場合もあり得ないではないことから武器に準じて取扱うことにしているに過ぎず、しかも中村らが警察官に対し、催涙ガス使用に関し、合理的に必要とされる限度において慎重に使用すべく指導、指揮、監督を怠つたことはないのであるから、いずれにしても中村らに同条違反はない。

2  亡薫の負つた傷害の成傷器

原告らが亡薫の負つた傷害の成傷器と主張する新型ガス筒は、亡薫が受傷した当日、原告らが受傷した場所と主張する斉藤方入口付近では使用されていず、本件現場における亡薫と警察機動隊との位置関係からすると催涙ガス筒そのものが命中するとは考えられず、現場の状況や亡薫の受傷の形状等からみて混乱の最中に、反対同盟側の集団から警察機動隊に向つて投てきされた石塊が亡薫の右頭頂部に激突したものと認められ、法医学その他の鑑定でも成傷器を新型ガス筒とすることには矛盾があり、石塊の可能性を否定できない結果となつている。すなわちその詳細は次のとおりである。

(一) 亡薫の受傷当日の反対同盟側集団の行動と警備状況等

(1) 反対同盟側集団の約四〇〇名は、亡薫の受傷当日である昭和五二年五月八日午前一一時六分ごろから、山武郡芝山町一六番地所在の大竹ガソリンスタンド付近において警備に従事中の千葉県警察第二機動隊(隊長海野卓二)所属の警察官約一二五名に対し、攻撃を開始し、火炎自動車二台による突撃、無数の火炎びんや農薬入りのびんの投てき、道路一面に石を敷きつめたかのような状態を呈するに至るほどの多量の投石、間断なく繰り返される鉄パイプによる突撃、投打等の極めて激しい行動を続け、これに対し警察機動隊は、楯で自らを防護するとともに放水、催涙ガスにより反対同盟側集団の右の違法行為の制止を図つたが、反対同盟側集団は、いわゆる車懸り戦法をとつて間断なく攻撃を続行し、放水車にかけ上がつて窓ガラス、天蓋、放水筒口を破壊したり、火炎びんで同車に放水する等の行為に及び、乗員の生命、身体に危険が切迫する状態に至つたり、前記の火炎自動車の突撃によつて道路脇の倉庫に炎が燃え移り、大竹ガソリンスタンドに類焼の危険が生ずるに至つた。このため第二機動隊は、他方面の警備に従事中の中隊を転用投入して合計一七九名の警察官をもつて反対同盟側集団の右違法行為の制止に当り、埼玉県警察部隊の応援を得て、同部隊所属の警察官らが大竹ガソリンスタンドから裏道伝いに斉藤方の裏手方向をめざし、同方向から攻撃をしかけてきた反対同盟側集団の規制排除を開始するに至つたが、反対同盟側集団は、国道上を横宮十字路方向に向け後退しながらも、火炎びん、投石、鉄パイプによる突撃等の攻撃を間断なく続行して一向に衰えず、殊に斉藤方前路上では、警察機動隊が劣勢となり、反対同盟側集団の前面に立つた約五〇名の鉄パイプ部隊による鉄パイプ攻撃によつて数メートル程後退を余儀なくされるとともに右十字路方向からの火炎びん、投石による激しい攻撃にさらされた。

(2) 警察機動隊は、午前一一時三〇分ごろ、放水車を前面に立てて放水規制を実施した後、催涙ガスの使用による規制を行い、反対同盟側集団がひるんだ間隙に乗じ、右十字路方向に前進を開始したが、その間にあつても国道上や斉藤方中庭にいた反対同盟側集団の者らから国道上にいた警察機動隊に対し、激しい火炎びんや石塊の投てき攻撃が繰り返され、なかには野球の投手のように力一杯投石するものもおり、その投石攻撃の激しさは斉藤方前国道のアスファルト舗装上に約一〇センチメートル間隔で石塊を敷きつめたかの状態を呈する程のもので、亡薫の受傷は、このような激しい投石攻撃の混乱した状況の下における一隅で瞬時にして発生したものである。

(二) 本件現場の位置関係

(1) 当時、千葉県警察第二機動隊に配備されていた新型ガス筒発射器は一基だけで、これを所持していた警察官は、大竹ガソリンスタンド前路上における攻防が開始されてから約一〇分後に、同所の警察機動隊に合流した中隊に所属し、合流後、部隊の中間よりやや後方に位置し、大竹ガソリンスタンド前で新型ガス筒五発を発射したが、六発目を発射しようとした際、筒が弾倉に引つかかる故障が発生したため、斉藤方前国道上において警察機動隊が反対同盟側集団の攻撃によつて後退を余儀なくされ、放水車の放水によつて排除規制をしている間に、斉藤方より大竹ガソリンスタンド方向に三〇メートル以上も寄つた国道北側の草地で発射器の修理をし、斉藤方前国道上での攻防が終了し、警察機動隊が前記横宮十字路に至つたころに再び部隊に加わつたものであつて、新型ガス筒は、大竹ガソリンスタンド前で五発発射された以外、亡薫が受傷した昭和五二年五月八日の午前中には一発も発射されていない。

(2) 原告らが主張する亡薫が受傷した際の亡薫及び新型ガス筒を発射したという警察官(加害警察官)の位置関係からすると、同警察官が亡薫を狙撃することは、斉藤方入口東側の「まさき」の生垣に遮ぎられて不可能であり、しかも、ガス筒は直進しないものであるうえ、右生垣に衝突ないし接触した後亡薫のいたという位置まで直進するとは通常考えられず、また、原告ら主張の位置関係からすると、亡薫は、その西隣りで一緒にスクラムを組んでいたという人物の蔭に隠れる格好になる位置になり、到底、前記警察官の狙撃の対象となり得るものではなかつた。

(3) 亡薫の受傷部位は右頭頂部であるが、原告らの主張する亡薫及び新型ガス筒を発射したという前記警察官との位置関係からすると、亡薫の右頭頂部にガス筒が当るためには亡薫が少なくともほとんど首を真うしろまで首を回わした状態でなければならないが、当時亡薫は、斉藤方入口において国道の方に身体を向けて両隣りの者とスクラムを組んでいたというのであるから人間の身体構造からみても、右のように深く首を回わすことは不可能である。

(三) 亡薫の受傷の投石による蓋然性

(1) 亡薫の受傷当時、反対同盟側集団は、斉藤方入口から東側(横宮十字路方向)に約五ないし三〇メートル寄つた国道上や斉藤方屋敷内から国道上の大竹ガソリンスタンド寄りにいた警察機動隊に対して激しい投石を行つており、その投石等による攻撃は、一時警察機動隊の後退を余儀なくさせる程激越なもので、その投石は、まさに雨あられが降り注ぐような観を呈し、斉藤方前国道上は、石塊が約一〇センチメートル間隔で敷つめられた状態であり、亡薫が斉藤方入口において国道の方に向つて立ち、両隣りの者とスクラムを組んだまま、左後方を振り向いたとしても、亡薫の受傷部位である右頭頂部は、国道上の前記横宮十字路寄りの方向から投石を繰り返していた反対同盟側集団の方に向けられていたことになり、大竹ガソリンスタンド寄りの方に位置していた警察機動隊の方からは仮に、亡薫が見えたとしても、その右側頭前部が見えるに過ぎず、その右後頭頂部が警察機動隊の方に向くことは絶対にあり得ない状況にあり、しかも、亡薫の受傷の形状から推定される成傷器は、次のとおり石塊と考えられるところであつて、亡薫の傷害は、反対同盟側集団の者が前記横宮十字路寄りの国道上ないし斉藤方屋敷内から国道上の大竹ガソリンスタンド寄りに位置していた警察機動隊に向けて投てきした石塊が亡薫の右後頭頂部に命中したことによつて生じたものと認められる。

(2) 受傷の形状から成傷器の形状を推定するについては、亡薫の頭皮挫裂創及び頭蓋骨骨折の双方の形状、対応関係、大きさ、その他の特徴を十分検討することが重要であるが、頭皮の傷の形状と衝突面の形状との間には有意的な相関性を認めることができるので、頭皮の傷痕を仔細に検討することによつて成傷器の衝突面の形状や滑らかさ、大きさ等を推定することが可能であるばかりでなく、頭皮の損傷そのものから成傷器の形状を特定するまでに至らなくとも頭蓋骨骨折を基にした推定が頭皮損傷の形状と矛盾するときは、その推定が誤りと断定することができる。

亡薫の頭部受傷は、頭皮挫裂創が頭蓋骨骨折に比較して狭く短いから、右骨折は、直接骨折のみによつて形成されたものではなく、直接骨折と随伴骨折との複合型態若しくは随伴骨折によつて生じたもので、頭皮の損傷が楕円形でない以上、骨折の形状が楕円形をなすからといつて成傷器の作用面が楕円形に近いとは限らない。亡薫の頭皮の損傷は、上下二条の不整形をなす挫裂創であるから、頭蓋骨骨折の形状が楕円形であるからといつて成傷器の作用面が楕円形に近いものと推定することには疑問がある。

そして、亡薫の頭皮挫裂創は、上下二条の不整形な形状をなしていることからみると、右損傷は、上部挫裂創、下部挫裂創に相応する凸部分ないしは稜線を有する不整形な物体によつて起されたものと推定するのが最も自然であり、頭蓋骨骨折の楕円形の形状とも矛盾せず、また、右二条の挫裂創の周囲に表皮剥脱を伴つていることからすると、成傷器の表面は粗いものであると考えられ、このような形状に適合する物体は、亡薫受傷した昭和五二年五月八日午前中の本件現場の状況からすると、石塊以外には考えられない(なお、この点につき、錫谷、三上、木村の各鑑定書及び各証言中には成傷器を新型ガス筒と推定する部分があるが、その理由が互に相反するのみならず、頭皮創傷と骨折線との位置関係、計測値及びこれらの成傷機転と新型ガス筒の先端半球部分の直径の長さとの間等について客観的事実と齟齬し大きな矛盾があり到底採用すべからざるものである。)。

第三  証  拠<省略>

理由

第一  亡薫の受傷及び死亡について

亡薫が昭和五二年五月八日午前一一時三〇分前後ごろ、右後頭部頭蓋骨陥凹骨折、開放性脳損傷及び脳挫傷の傷害を受け、同月一〇日午後一〇時一四分千葉県成田市飯田町九〇番地の一所在の成田赤十字病院において死亡したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、亡薫の右傷害は、同月六日鉄塔二基が撤去されたことに対する反対同盟の抗議行動の一環として同月八日正午ごろから山武農業共同組合千代田事務所(以下、農協千代田事務所という。)の構内において反対同盟主催の抗議集会が開催されることになつていた同日午前一一時過ぎごろ、千葉県山武郡芝山町大里一六番地所在の大竹ガソリンスタンド付近の国道二九六号線(以下、国道という。)上において警備にあたつていた千葉県警察第二機動隊の警察官(以下、機動隊ともいう。)と反対同盟側の第四インター派集団(以下、第四インター派という。)が衝突し、第四インター派の石塊、火炎びんの投てきや鉄パイプ等による攻撃とこれに対する機動隊側の催涙ガスによる規制等の攻防を繰り返えしながら、国道上を東方向に移動し、機動隊との衝突で負傷した第四インター派の者を救護するために同所七〇番地の斉藤方に設置された救護所である野戦病院に近づいてきたため、折から野戦病院で負傷者の救護活動をしていた亡薫は、国道に面した野戦病院の入口で反対同盟のいわゆる救護班員らとスクラムを組んで横一列となり、野戦病院への機動隊の侵入を阻止しようとしていた際、右後頭部に飛来してきた物体(以下、成傷器という。)の直撃を受けて受傷したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

第二  亡薫の受傷及び死亡の原因について

亡薫の受傷につき、原告らは、亡薫の受傷当時、野戦病院となつた斉藤方入口の左(西)斜め前方の国道上ないしその周辺に位置していた機動隊員の新型ガス銃の水平撃ちによつて発射された新型ガス筒によるものであると主張し、被告らは、当時斉藤方入口の横宮十字路寄り右(東)側の国道上ないし斉藤方屋敷内の反対同盟側集団の投石によるものであると主張するので、まず、亡薫の傷害の成傷器が右のいずれであるかについて検討する。

1亡薫の左隣りで、西端に位置してスクラムを組んでいた証人大橋正明の証言中には、「西の方の機動隊の前列の真中辺位のところで「プシュッ」という低いガス弾の発射音がして、その方向から飛んで来た何かが目の前を西から東によぎると同時に右側でスクラムを組んでいた人が地面に倒れた。」「ガス弾の直撃だとわかつた。」「国道上のセンターライン上にガス弾が白い煙をあげているのが見えたので、そのガス弾が当つたんだろうと思つた。」旨の証言部分があり、亡薫の右隣りでスクラムを組んでいた証人森山太一の証言中にも、「左斜めにいる機動隊のガス弾を発射する「バンバン」とか、そういう音が連続的にしてそれと同時に東山さん(亡薫)が倒れた。」「ガス弾の爆発音は連続的にかなり多かつたと思う。」「ガス弾にやられたと感じた。」とする証言部分があり、更に、斉藤方前の国道上で斉藤方入口を挾んで、機動隊と対峙した第四インター派の最前列に位置していた証人原田節の証言中にも、「機動隊の放水直後、野戦病院の前で並んでいたヘルメットをかぶらない甲(亡薫)が非常に強い衝撃を受けた形で倒れた。」「倒れる直前、機動隊の方つまり本人からは左手の方を向いていたが、機動隊がどの辺の位置まで来ているかを見たんではないか。」「倒れる直前にガス銃の発射音は聞いていない。」「ガス弾の水平撃ちの直撃ではないかと直感した。倒れ方の異常と自分らに対して水平撃ちがなされたことの二つから直感した。」旨の証言部分があり、右の三証人は、いずれも亡薫が倒れた当時、投石や火炎びんの投てきはなかつたとするのであるが、これらの証言部分は、亡薫の受傷時の目撃状況として、その体験事実が正確に証言されている限り、、推測や直感部分も含めて重要な証拠価値を持つものということができるが、右の三証人は、催涙ガス筒の発射音についてそれぞれ異なる証言をし、証人原田節の、亡薫が倒れる直前催涙ガス筒の発射音を聞いていないという点はともかくとして、証人大橋正明及び同森山太一の催涙ガス筒の発射音についての証言の食い違いは、単に、体験事実の感得力の個人差とか記憶や表現方法の差異に帰着せしめられない相異というべきであつて、この点は、右の各証言の証拠価値を判定するに当つて無視し得ないばかりでなく、証人原田節が亡薫の受傷が催涙ガス筒の水平撃ちの直撃によるものとするのも、単に亡薫の倒れ方が尋常でないことと機動隊の第四インター派に対する催涙ガス筒の水平撃ちがあつたことを根拠に推測した結果に過ぎず、これもまた、右証言に大きな証拠価値を置くことはできないといわなければならないし、この点についての証人森山太一の証言も亡薫が催涙ガス筒の直撃を受けた点を目撃したものではなく、機動隊の催涙ガス筒の連続的な発射音を聞いたことと、その発射音と同時的に亡薫が倒れたことから亡薫の受傷が催涙ガス筒の直撃によるものと直感したというものであるうえ、同証人の証言によれば、当時同証人は、訴外大橋正明の「裏から機動隊がきた。」という声で、後を振り返つていたというのであるから、その証言に全面的な証拠価値を置くことはできない。また、体験事実が、亡薫の受傷が催涙ガスによるものとする点で直接的である証人大橋正明の証言も、検証(証拠保全(第一回))の結果に鑑みると、当時同証人が位置していた地点からその証言どおりに、亡薫を直撃したとする催涙ガス筒が西の方にいた機動隊の真中辺位から発射されたものであることを目撃感得し得たかについては疑問があるばかりでなく、国道上のセンターライン上に白い煙を上げていたという亡薫を直撃した催涙ガス筒(原告らの主張によれば、同ガス筒が新型ガス筒ということになる。)は、斉藤方前国道上では発見された証拠はなく、証人大熊寿年及び同戸村勝子の各証言、検証(現場(第四回))の結果によつても、新型ガス筒は、昭和五二年五月九日に斉藤方入口東端から直線距離にして一九・九メートル程の、国道をへだてた北東方向にある訴外宮野湛方の垣根の中から一丁、同月八日、横宮十字路を南下する道路の西側に位置する(斉藤方裏側から南東方向にある)訴外戸村勝子方のビニールハウスの道路側から一丁発見されたとするものであり、その発見場所と斉藤方との位置関係からみて、いずれも証人大橋正明が目撃したとする国道上センターライン上で白い煙を上げていた催涙ガス筒と同一のものであるということはできず、これらの諸点を考え合せると、証人大橋正明の前記証言部分もにわかに採用できないといわなければならない。

2結局、本件においては、亡薫の傷害の成傷器についてこれを直接的に証明するものはなく、この点について判断するには亡薫の受傷時の現場の状況はどうであつたか、つまり機動隊の発射した新型ガス筒ないし第四インター派を含む反対同盟側集団の投石による石塊が飛来するような状況であつたか否か、受傷時の亡薫の位置関係、殊に頭部がどの方向を向き、どのような位置にあつたか、すなわち新型ガス筒ないし石塊が受傷部位である右後頭部を直撃するような位置関係にあつたか否か、亡薫の右後頭部の損傷がその状態や形状から新型ガス筒あるいは石塊のいずれかによつて生じたものか否かを検討しなければならない。

(一)  そこで、まず、亡薫の受傷時の現場の状況について判断する。

(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 反対同盟は、昭和五二年五月八日空港第五ゲート近くの国道沿いにある農協千代田事務所庭において二日前に公団側で仮処分の執行として鉄塔二基を撤去したことに対する抗議集会を開催することにしたが、警備、警護に当る警察部隊との衝突で負傷した反対同盟側の者を救護するため、同日(昭和五二年五月八日)午前一〇時三〇分ごろ、国道上の横宮十字路寄りの国道沿い南側に所在する斉藤方の奥(南側)の納屋の土間に青いビニールシートを敷き、その上に筵を置いた臨時野戦病院と称する救護所(野戦病院ということは前記のとおり)を設け、斉藤方入口の両側に赤十字の記号を記した旗を立て医師を含む一〇名前後の救護班員がヘルメットを被り、赤十字の記号と野戦病院と記したゼッケンを着けたりして救護活動に従事する体制を整えたこと、

(ロ) 一方、千葉県警察は、四〇〇〇名に及ぶ警察官を動員する警備体制をひいて抗議集会の行われる農協千代田事務所に近い空港第五ゲートを重点的に、撤去された鉄塔の立つていたいわゆる鉄塔台地、土屋燃料基地など反対同盟側のゲリラ活動によつて攻撃を受けるおそれのある空港関連施設を警備・警護することにし、同日(昭和五二年五月八日)防護衣を着用し、大楯や新型ガス発射筒一丁を含むガス発射筒一七丁、放水車で装備した一七九名からなる千葉県警察第二機動隊をはじめ、近畿管区や埼玉県警察の機動隊を含む約一五〇〇名位の警察官が空港第五ゲート周辺に配置され、千葉県警察第二機動隊は、午前八時ごろから農協千代田事務所の入口のところで検問を実施していたところ、午前一一時前ごろ、鉄パイプ、石塊、火炎びん等を携行して抗議集会の会場である農協千代田事務所に向つて来た第四インター派の集団に対する検問、規制に当るよう命令を受け、一個中隊を農協千代田事務所の前の空地に残し、二個中隊の一二五名で、横宮十字路方面からみて農協千代田事務所の手前にある大竹ガソリンスタンド前国道上に転進し、午前一一時過ごろ、同所で、赤色のヘルメットや赤色のヤッケ等を着用し、鉄パイプ、石塊、火炎びんを携行して横宮十字路方面から野戦病院(斉藤方)前国道上を西進して来て待ち構えた格好で立ち止つた第四インター派の約三四〇〇名の集団と遭遇したこと、

(ハ) 千葉県警察第二機動隊の隊長である海野は、同所で既に検問を実施していた近畿管区の機動隊約三〇〇名の支援を受け、指揮官車上から鉄パイプ等で武装するのは違法である旨警告したが、第四インター派は、これに対して何ら応答せず、突然、フロントグラスに金網を張り、鉄パイプや石塊とともにガソリンの入つた酒びんやポリバケツを積み込んだ乗用車一台を前面に出し、無人のまま、機動隊目掛けて発進させたが、機動隊に達する前に徐徐に南側にそれて笹川農機の建物とそれに接した山林の境目部分に突つ込んで停車し、次いで、発進された二台目は、機動隊にまで達して部隊の中を通過して大竹ガソリンスタンドとそれに接する山林の境目で止つたが、二台目の車両が停車するかしないかのうちに機動隊に対する石塊や火炎びんの投てきによる一斉攻撃が開始されたため、機動隊側では隊員を少し後退させて前面に放水車をくり出して放水規制をするとともに投てきされた火炎びんがガソリン等を積み込んだ前記の自動車に当つて自動車そのものが一〇メートル程の火柱をあげて炎上し、笹川農機の倉庫の羽目板が燃え上がつたりしたのを放水により消火したりしたが、間もなく、水が切れてしまつて大きな効果をあげることができず、その間にあつて多量の石塊や火炎びんが間断なく投てきされ続ける一方、直接接触による鉄パイプの攻撃にもさらされたため催涙ガス筒による規制を命じたけれども、第四インター派は、鉄パイプ、火炎びん、石塊の三グループに分かれていわゆる車懸り戦法により攻撃を継続し、後方の自動車等に予め用意していたところの直径約一〇センチメートル位の大きいものもあるが、大体は手拳大の石塊を用いて前面にいる者は、水平に、後方の者は弧を描いた形で、付近の路上を石で敷きつめたといつてもよい程多量に投石し、その勢いもジュラルミン製の楯をしつかり握つていないとはじかれてしまう程であつて、放水車の前にいた機動隊員が放水車の後方に後退するなど一時機動隊側が劣勢となり、農協千代田事務所前の空地に残していた千葉県警察第二機動隊一個中隊を呼び寄せて千葉県警察第二機動隊を総勢一七九名に増強するとともに、他部隊の増援を求める一方、近くに大竹ガソリンスタンドがあつて火災の危険もあつたので消防車の出動も要請したこと、

(ニ) 第四インター派は、弧立した放水車にかけ登つて、天蓋、ボンネット、放水筒口などを鉄パイプで殴打したりしはじめたため、放水車の中にいる隊員を救出すべく隊長の海野自ら隊員を引き連れて前進し、部隊を放水車の前に進出させて防護しながら放水車から隊員を救出したが、その間も鉄パイプや投石による攻撃が続き、隊長の海野も鉄パイプで殴打されたりしたため、危険を感じ、放水車の隊員を救出した後、すぐさま部隊を放水車の後方に後退させたところ、放置された形となつた放水車は、鉄パイプで窓ガラスが壊わされたり、火炎びんで焼かれたりして破壊されてしまつたこと、

(ホ) その後、第四インター派は、これまでの正面からの攻撃に加え、笹川農機の脇から山林伝いに機動隊の側面を突く行動に出てきたため、応援にきた他部隊に大竹ガソリンスタンドの脇から迂回して第四インター派の後方に回わるよう要請したが、迂回しようとして脇道に入つた他の部隊も鉄パイプ、投石、更にはポリ袋に入つた農薬の投てき攻撃を受けて一旦は、国道まで押し戻される状況になり、機動隊の方も催涙ガス筒の発射等で規制し、新型ガス筒も五発発射して第四インター派の後方部分がいた斉藤方手前の千代田観光前付近に落下させる等応戦し、第四インター派の攻撃開始から二〇分程経過した午前一一時二六分ごろに至つて第四インター派が機動隊と向き合つたまま、投石等を続けながら後退を開始し、機動隊の方では、第四インター派を検挙するため前進し、第四インター派の先頭部分が大竹ガソリンスタンドと野戦病院となつた斉藤方のほぼ中間位に位置する千代田観光前の国道上に至つて、後退をやめ、前進して来た機動隊に対し、石塊や火炎びんの投てきによる攻撃を加え、機動隊の方も一旦立ち停まる形になつて、催涙ガス筒を発射するとともに他の部隊が千代田観光の南側から迂回して両側から第四インター派を挾む形で規制したところ、第四インター派は、鉄パイプや投石で前進する機動隊に攻撃を加えながら対峙した状態のまま再び後退を開始したこと、

(ヘ) 第四インター派は、斉藤方前を通過したところで後退を止め、再び攻撃に転じて鉄パイプによる攻撃で機動隊の前進を阻むと同時に多量の石塊や火炎びんを投てきして機動隊を後退させ、野戦病院となつた斉藤方前国道上において、第四インター派による投石、火炎びんの投てき、機動隊による催涙ガス筒の発射による攻防を繰り返えしながら、丁度斉藤方入口を挾んで二〇メートル前後の間隔をあけて西側に機動隊、東側に第四インター派が向い合つた格好となり、機動隊の方では午前一一時三〇分前ごろ、放水車を前面に出して放水規制をするとともに路上で炎上している火炎びんの火を消火する一方、これまでと同様に催涙ガス箇を発射して第四インター派の分断をはかり、これに対し、第四インター派の方でも、これまでと同様に集団の前面や後方から投石や火炎びんを投てきして応戦し、斉藤方前付近での投石もかなりの量に達したこと、

(ト) 野戦病院となつた斉藤方にも催涙ガスが飛んできて庭に落ちたり、屋根に当つたりする一方、石塊も飛んできて庭に駐車していた乗用車のサイドミラーに当つてミラーが砕けたりしたが、同所で負傷者の救護活動に従事していた反対同盟の救護班員である訴外森山太一や同大橋正明ら四人は、機動隊の侵入を防ぐため、十字のマークの入つたヘルメットを被り、更に、右の森山や大橋は赤十字のマークと野戦病院の文字を記したゼッケンを胸と背に付けた格好で国道に面した斉藤方入口に並んで立ち、スクラムを組んで阻止線を張り、折から野戦病院の斉藤方で救護活動に従事していた亡薫もヘルメットや帽子も被らないまま、スクラムの西端に位置していた大橋とその東隣りの森山の間に加わつてともにスクラムを組んだこと、

(チ) 一方、埼玉県警察機動隊四個中隊は、農協千代田事務所と大竹ガソリンスタンドの間から国道の南脇に入つて迂回し、畑の中の畔状の道を通り、午前一一時二〇分ごろ、斉藤方西脇の資材置場に至つたが、先に資材置場に達した先頭の一、二中隊は、同所にいたヘルメットを被つた集団から鉄棒、投石、火炎びんの投てきによる攻撃を受けたものの、結局、同機動隊がヘルメットを被つた集団を国道方向に規制して行き、一方同機動隊の最後尾に位置していた四中隊五八名は、更に迂回して斉藤方の裏手から庭に入ろうとしたところ、中にいた者から投石による攻撃を受けるなど抵抗されたものの、結局、押し入り、その際、国道に面した斉藤方入口でスクラムを組んでいた亡薫が飛来した物体の直撃を右後頭部に受けて受傷し、後方にある救護所に運ばれる事態になつたもので、当時斉藤方から国道上にいた機動隊目がけて投石する者もいたが、裏手から押し入つた埼玉県警機動隊四中隊の姿をみて逃げ出したりした者や負傷者を救護している者もいたので、同隊は、同所での検挙を中止して国道に面した入口の方に行つたところ、国道上の西側の機動隊からは催涙ガス筒が発射され、東側に位置した第四インター派からは投石がなされ、救護所の方からも投石などもあり、催涙ガス筒の発射が止んだ隙をみて国道上に出て東側に位置していた第四インター派と対峙する形となつたため、激しい投石攻撃を受け、一旦は、国道の右側に寄つたが、後方の千葉県警察第二機動隊が前進してくる様子をみて、第四インター派の規制に入り、横宮十字路付近まで追撃し、後退した第四インター派が同十字路で左右に別れて逃走したところから、その挾撃を回避すべく、一旦、同十字路手前で止つて後続の千葉県警察第二機動隊の到着を待ち、到着した同機動隊が一気に同十字路を左折して同方向に逃走した第四インター派を追撃して行つたのをみて、右折して右手に逃走した第四インター派を追撃したこと、

(リ) 第四インター派の負傷者の中には機動隊の催涙ガス筒の直撃を頭部や胸部、更には、腹部等に受けて受傷したり、眼部に受けて失明したり、催涙ガスによつて火傷を負つたり、催涙ガスを吸入して呼吸困難になつたり、意識障害をきたしたりした者がおり、他方、機動隊の方でも火炎びんによつて一週間から一ケ月の加療を要する火傷を負つたり、加療五日から七日を要する打撲症を負つた者がおり、また、投石によりヘルメットが割れたり、ひびが入つたり、傷がついたり、前面のライナーが壊われたりした者もいたこと、

(ヌ) 催涙ガス筒は、斉藤方の内外から見つかつているが、そのうち、新型ガス筒は、斉藤方入口東端から北東方向に一九・九メートル程離れた国道向い側にある訴外宮野湛方の垣根の中から一丁、横宮十字路を南下する道路の西側に位置する(斉藤方裏側の南東方向にある)訴外戸村勝子方のビニールハウスの道路側から一丁発見されたこと、

以上の事実が認められる。

(2) 右の認定事実によれば、国道に面した斉藤方入口のところでスクラムを組んでいた亡薫が右後頭部に受傷した際、斉藤方入口の西方向の国道上にいた機動隊から斉藤方入口の東側の国道上にいた第四インター派に対し催涙ガス筒が発射され、野戦病院となつた斉藤方の庭等にも飛来してくる状況で、斉藤方入口東端から北東方向に一九・九メートル程離れた国道向い側にある前記の宮野方の垣根の中や横宮十字路を南下する道路の西側に位置する(斉藤方裏側の南東方向にある)同戸村方のビニールハウスの道路側から新型ガス筒が発見されていることからすると、入口付近を含めた斉藤方にも新型ガス筒が飛来してくる可能性のあつたことは否定し得ない一方、斉藤方入口の東方向にいた第四インター派や斉藤方の庭等にいた者から国道上の機動隊に向つて投石がなされ、第四インター派からの投石は、催涙ガス同様、野戦病院となつていた斉藤方の庭等にも飛来してきて庭に置かれた乗用車のサイドミラーに当つてミラーを破壊したりしており、このような亡薫の受傷当時の状況からすると、国道に面した斉藤方入口で立つてスクラムを組んでいた亡薫は、新型ガス筒及び石塊のいずれの直撃をも受ける危険性がある状況にあつたということができる。

もつとも、証人大橋正明、同森山太一及び同原田節の各証言中には、機動隊の放水後、亡薫が受傷するまでの間、催涙ガス筒の発射も投石や火炎びんの投てきもなかつたとする証言部分があり、証人大橋正明及び森山太一は、その空白状態の際、右大橋が裏から機動隊がきたといつて右森山や亡薫が後を振り向いた時、機動隊の方から催涙ガス筒の発射音がして亡薫が倒れたとし、右の三証人いずれも、亡薫が受傷した際、第四インター派ら側からの投石や火炎びんの投てきはなかつた旨証言するのであるが、一方、証人海野卓二は、放水後も右のような空白状態はなかつたとし、その状況認識が異なつているが、右の大橋ら三証人が証言するように放水という一種の状況しや断的規制が行われた直後、一時的な空白状態が生ずることもあり得るとしても、他面、対峙している双方ないしは一方がかなり緊迫した状態にあつたり、放水規制が以前にもなされてその状況しや断的効果が減殺されている場合には、一時的空白状態が生じないこともあり得るところであつて、前記認定のような状況下では、そのいずれであつたか必ずしも明らかではないものの、当時の斉藤方入口前の国道上での攻防は、大竹ガソリンスタンド前での衝突程ではないにしても、機動隊を後退させるなど相当緊迫した状態にあつたばかりでなく、既に大竹ガソリンスタンド前での衝突の際に、放水規制が行われていてその状況しや断的効果も減殺されていると考えられること等からすると、証人海野卓二の証言のように放水の前後において投石等の行為とこれに対する催涙ガス筒の発射等の攻防が繰り返えされていて放水後に一時的空白状態はなかつたと認めるのが相当である。

また、証人中村安雄及び同海野卓二の各証言によれば、新型ガス発射筒は、昭和五二年五月八日当日千葉県警察の第一及び第二機動隊にそれぞれ一丁づつ配備されていたが、当日大竹ガソリンスタンド前から横宮十字路に至る国道上で第四インター派の規制に当つた第二機動隊に配備された新ガス発射筒は、当初農協千代田事務所に残留し、後に大竹ガソリンスタンド前の攻防の際、増援した部隊の機動隊員が所持していたところ、大竹ガソリンスタンド前で五発発射し、その後、斉藤方前付近の放水車の後方から発射しようとしたが、たまたま弾倉を装てんする部分に故障が生じて発射することができず、国道北側にある草地に行つて修理していたため、発射せず、結局、当日、大竹ガソリンスタンド前から横宮十字路に至る国道上において発射したのは大竹ガソリンスタンド前における五発だけである旨証言するが、前記認定のとおり、大竹ガソリンスタンド前で発射された新型ガス筒五発は、当時、第四インター派の後方部分が位置していた斉藤方手前の千代田観光前付近に落下したことからすると、前記宮野湛方の垣根の中や同戸村勝子方ビニールハウスの道路側から発見された新型ガス筒が大竹ガソリンスタンド前で発射された五発の一部である可能性はほとんどなく、五発発射した後、新型ガス発射筒が故障したか否かはともかくとして斉藤方前付近にも新型ガス筒が飛来してきた可能性は否定できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  次に、受傷時の亡薫の位置関係について判断する。

(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 亡薫は、昭和五二年五月八日午前一一時二〇分過ぎから三〇分ごろまでの間に、国道に面した斉藤方入口において、既に救護班員四人が立つた姿勢でスクラムを組んで野戦病院となつた斉藤方に機動隊が侵入するのを防ぐために張つた阻止線の西端に位置していた訴外大橋正明とその右隣りの同森山太一との間にヘルメットを被らないまま、入り、右両名と腕を組んでスクラムに加わり、国道に向つて立つていたところ、斉藤方入口の西側方向の国道上に位置していた機動隊から右入口の東側方向の国道上に位置していた第四インター派に対し放水規制がなされた直後である午前一一時三〇分ごろ、右大橋が「裏から機動隊がきた。」と大声を出したため、右隣りの右森山とともに左側から振り返つた際、飛来物体の直撃を受けて顔を北東方向に向け、足を北西方向に「く」の字に曲げた格好でその場に転倒したこと、

(ロ) 亡薫が受傷した際、前記のとおり、斉藤方入口の西側方向の国道上には機動隊、東側方向の国道上には第四インター派が位置していたが、双方がそれぞれ斉藤方入口からどの程度西側もしくは東側方向に離れていたかについては必ずしもはつきりしないものの、機動隊は、同入口でスクラムを組んでいた右大橋や同森山の位置からは機動隊の先頭集団のうち、国道北側付近(右両名の左斜方向)にいる隊員の大楯や姿が見える程度のところに位置し、一方同入口東側の第四インター派の国道北側付近に位置した先頭集団からは亡薫を含む同入口でスクラムを組んでいた者の姿が見えるような状況で、いずれもその先頭部分は、斉藤方入口からそれ程離れてはいず、機動隊側からは放水車の周囲から催涙ガス筒が発射され、第四インター派からは投石が繰り返えされていたこと

以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>はにわかに措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。

(2) ところで、亡薫が受傷時に後を振り返つた程度について原告らは、野戦病院裏側から侵入してきた機動隊員を見ようとして身体を左側に寄じつて右肩を北側にして顔を後方の左肩の方に約九〇度回した格好となつた旨主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて、前記のとおり、亡薫は、当時、斉藤方入口のところで西端にいた訴外大橋正明とその右隣りにいた同森山太一の間に入つてスクラムを組み、右大橋の「裏から機動隊がきた。」という大声を聞いて森山太一とともに左側から後を振り返つたのであるから足の位置を動かさず足を正面国道の方に向け、左右の腕を両隣りの右大橋、同森山の腕に絡ませた格好で右隣りの右森山が左側から振り返えると同時に上半身を左方に寄じつて頭顔部を約九〇度回わすことは姿勢上難かしく、斉藤方入口の東側国道上に位置していた第四インター派集団の先頭にいて亡薫の挙動を目撃していた証人原田節は、亡薫が左の方向に向いたが、それは斉藤方入口の西側国道上の機動隊がどの辺まで来ているかを見たのではないかと思う旨証言していることを考え合せると、亡薫が振り返つた程度は、原告らが主張する程深いものではなかつたと推認するのが相当であるが、その程度を正確に把握し得る証拠はない。

(3) 右の認定事実関係からすると、亡薫が右後頭部に受傷したのは、斉藤方入口において救護班員の訴外大橋正明や同森山太一ほか二名とともに国道に面して立つた姿勢でスクラムを組んでいて、右大橋の「裏から機動隊がきた。」との叫び声で左側から後を振り向いた際に飛来物体の直撃を受けたことによるものであつて、このような亡薫の受傷時の頭部の向き具合からすると、斉藤方内からの投石によつて亡薫が受傷したとは考え難いが、一方、亡薫の振り返りの程度が原告らの方で主張するように深いものではなかつたと推認されるのであるから、右受傷時の亡薫と機動隊との位置関係からみて亡薫が右後頭部に機動隊員によつて発射された新型ガス筒の直撃を受けたとすることにも疑問があるといわなければならない。

しかしながら、前記のとおり、亡薫の振り返りの程度を正確に把握し得る証拠のない本件においては、いずれにしても、成傷器の直撃方向、つまり成傷器が亡薫の左手の方向(斉藤方入口の西方向)から飛来して亡薫の右後頭部を直撃したものか、右手の方向にいた第四インター派の方から飛来してきたのかが成傷器が新型催涙ガス筒か石塊かを決定する重要な要因の一つになるというべきであるが、この点は、成傷器の飛来方向につき措信し得る直接証拠のない本件においては、成傷器の判定と併せて、亡薫の後頭部の損傷状況からその解明を試みることを要するといわなければならない。

(三)  そこで、次に、亡薫の後頭部の損傷の状態、形状について検討することとする。

(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 亡薫の右後頭部頭蓋骨陥凹骨折、開放性脳損傷及び脳挫傷の右後頭部傷害のうち、頭皮の損傷は、右頭頂部の右頭頂結節に接し、右耳介付着部の上方約五〇センチメートル、後方約二・〇センチメートルの位置を先端として後上方に向う上下二条よりなる挫裂創で、その両前端部は、極めて浅い線状をなす裂傷により連絡し、その周囲には皮下出血を伴い、後両端部も裂創により連絡し、その創角は、いずれも正鋭で、その二条の挫裂創で囲まれた部分は不規則な紡鍾形をなし、その最大幅は約一・七センチメートルであり、上部の挫裂創は、長さ約四・〇センチメートルで、創縁は不規則な小鋸歯状をなし、創の深さは約二・五センチメートルで開し、上創縁のほぼ中央部には幅約〇・二センチメートルないし〇・三センチメートルの表皮剥脱を伴い、前端より約二・〇センチメートル程後方の下創縁部から屈曲して下方に向う小裂創があり、その長さは約〇・四センチメートルで、その周囲は、表皮剥脱、皮下出血を伴う挫滅状を呈するが、右以外の上部挫裂創には挫滅も表皮剥脱もなく、上創壁は鋭角的に斜めに入り込み、下創壁は鈍角をなして、頭皮内面を貫通し、頭蓋骨の陥凹部の上縁に達し、下部の挫裂創は、長さ約三・五センチメートルの弦を前方におく弧をなし、創縁は小鋸歯状を呈するが、やや鋭く、その周囲には幅約〇・三センチメートルないし〇・四センチメートルの表皮剥脱を伴い、前端部から約〇・五センチメートル程は、極めて浅い裂創で線状をなし、それから続いてわずかに開した形状を示し、深さは約〇・八センチメートル前後で、前創壁は鋭角的に斜めに入り込み、後創壁は鈍角をなし、頭皮内に留まつて頭皮内面には達していないこと、

(ロ) 頭皮内面の前、後半には、前記の右頭頂部の挫裂創を中心に、前後径約一七・〇センチメートル、上下径約一五・〇センチメートルの部分に頭皮下出血があり、厚さ〇・七センチメートルないし一・〇センチメートルの血腫を形成し、一方、左頭頂結節に相当する箇所を中心として前後径約八・〇センチメートル、左右径約六・〇センチメートルの部分には組織液が洩出し、淡黄色の寒天状を呈すること、

(ハ) 頭蓋穹窿部の右頭頂結節の下部に前記の右頭頂部の損傷に相当して長径を後上方より前下方におき、長径の長さ約五・二センチメートル、短径の長さ約三・五センチメートルの楕円形を呈する陥凹骨折があり、上、下縁とも弧をなし、骨折縁は正鋭で、上縁の右頭頂結節に相当する部分に前後径約一・五センチメートル、上下径約〇・五センチメートルの小骨片が半ば剥離して外方に突出し、ほぼ中央部で二分された形状をなして付着し、その小骨折片の上縁に端を発して湾曲して前下方に向う長さ約一・八センチメートルの亀裂骨折があり、陥凹骨折の前縁から前下方に向つて右側頭骨を横断して頭蓋底に至る骨折があり、同骨折は、中頭蓋窩の右側中央部を通り、右中頭蓋窩の前縁に向い、右前縁に達して終り、その骨折部から血液を洩らし、更に、この頭蓋底に至る骨折の開始部から前方約一・五センチメートルの鱗状縫合に端を発して右鱗状縫合の下部を前下方に進み、約三センチメートルで鱗状縫合に連なり、縫合離開を形成する全長約五・五センチメートルの骨折があるものの、離開部分は頭蓋外板だけで内板には骨折も離開もなく、また陥凹骨折の後縁に端を発し、左後方に向う長さ約五・二センチメートル、後端がわずかに屈曲する亀裂骨折がある。陥凹骨折の陥凹した骨折片には上縁から下方約一・〇センチメートルの箇所に交差部を置き、放射状に拡がる五条の骨折があり(更に、枝別れした形のもう一条の骨折も認められる。)、陥凹部分はすり鉢状を呈し、最も陥凹する右交差部の深さは約一・五センチメートル前後で、五条の骨折のうち、前後に走る骨折二条は、長さ約三・五センチメートルの弦を下方におく一個の弧をなし、これと交差して交差部から長さ約二・五センチメートルの骨折一条が前上方に、長さ約一・五センチメートルの骨折一条が後上方に、長さ二・二センチメートルの骨折一条が下方にそれぞれ向い、前上方の陥凹部分の上縁部は、深さ約一・〇センチメートル陥凹し、同部分から血液の混じつた脳実質が漏出し、その表面に頭髪三条が付着し、この楕円形を呈する陥凹骨折に相当して右側頭筋には高度の出血があり、帽状腱膜下にも広汎な出血部分が存し、右頭頂結節に相当して厚さ約一・〇センチメートルの血腫が形成されていること、

(ニ) 頭蓋骨の厚さは、最厚部で約〇・八センチメートル、最薄部で約〇・三センチメートルで、硬脳膜腱様滑沢にして、硬膜外には血腫なく、右半球の硬膜下には大きさ七センチメートル×五センチメートル×〇・五センチメートルの薄片状の硬膜下血腫があり、軟脳膜は菲薄滑沢にして、脳血管の充盈は左右半球とも極めて高度で、大脳右半球の穹窿面には殆んど全面にひろがる高度のクモ膜下出血があり、前記の楕円形を呈する陥凹骨折に相当して長径約四・五センチメートル、短径約一・〇センチメートルの開した挫滅部分が存在し、その周囲は、前後径約五センチメートル、上下径約七・〇センチメートルにわたつて蚤刺大、粟粒大、米粒大、大豆大等の多数の脳挫傷の集簇からなる高度の脳挫傷集合部を形成し、大脳左半球にも殆んど全面に広がる軽度のクモ膜下出血があり、左右半球とも脳腫脹高度にして脳回は扁平となり、右半球の頭頂葉から後頭葉にかけて高度の水腫があり、脳底動脈の走行は尋常で、硬変もないが、小脳背側、小脳腹側の血行の充盈は、きわめて高度で、小脳背側には広くクモ膜下出血が存在し、延髄の腹側には蚕豆大の凝血が付着し、右側小脳扁桃には指頭大の出血があり、右側側頭極、直上回、眼窩回に脳挫傷が存在すること、

(ホ) 頭蓋底部の右中頭蓋窩には鶏卵大の凝血が付着し、頭蓋底の硬脳膜には損傷がないが、左右錐体にほぼ鳩卵大の出血、トルコ鞍部の前縁にそつて頭蓋底部の骨質内に左右径約三・〇センチメートル、前後径約一・〇センチメートルに及ぶ出血があり、いずれも暗紫色に透見されること、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) そして、右認定の亡薫の頭部の損傷の状態、形状の事実に<証拠>を総合すると、亡薫の右の受傷の発生機序及び成傷器とその作用方向について次のとおり認定することができる。

すなわち、頭皮損傷は、前記認定のとおり、上下二条からなる挫裂創で、その前、後端部は、いずれも裂創により連絡し、その創角は両方とも正鋭で、その二条の挫裂創で形成される部分は不規則な紡鍾形をなし、一方、陥凹骨折は、楕円形を呈し、最も陥凹する中心部である別紙図表2のm部分が前上方にずれてゆがんだ形ではあるものの、すり鉢状を形成し、その基底に相当する前記m部分から五条の亀裂骨折(枝別れた形の骨折がもう一条存することは前記のとおり)が放射状に走り、その頭皮損傷と頭蓋骨折との対応関係は、別紙図面3の(1)のh部分が多少右上方に位置するものの、ほぼ別紙図面3の(1)のとおりであつて、別紙図表1のh部分が頭蓋骨折の前記m部分に対応し、上部挫裂創である別紙図表1のfhbのほぼ中央部の前記h部分の上創縁には幅約〇・二センチメートルないし〇・三センチメートルの表皮剥脱を伴い、その下創縁部から屈曲して下方に向う長さ約〇・四センチメートルの小裂創があり、その周囲は、表皮剥脱、皮下出血を伴う挫滅状を呈し、全体として極めてゆるやかな波形状をなす一方、下部挫裂創である別紙図表1のcgdは、長さ約三・五センチメートルの弦を前方におく弧形をなし、創縁は小鋸歯状を呈するが、やや鋭く、ほぼ全面に表皮剥脱を伴い、上、下部両挫裂創の創洞方向は、いずれも、後方下方から前方の上方に向い、上部挫裂創の上創壁は、鋭角であるが、下創壁は鈍角をなし、下部挫裂創も前創壁は鋭角であるが、後創壁は鈍角をなし、上部挫裂創は、頭皮内面を貫通して陥凹骨折の上縁の別紙図表2のisunx部分まで達していて、その陥凹骨折上縁の一部がめくれて上部挫裂創内に入り込んだ状態であるが、下部挫裂創は、陥凹骨折の下縁の同図表のkt′s′v′oqlの部分にほぼ対応した形状を呈し、その全域にわたつて表皮剥脱があり、しかも、それは、上、下部の挫裂創で囲まれた紡鍾形の内側部分つまり陥凹骨折の陥凹中心部の前記m部分及びそれに対応する挫滅状を呈する損傷部の前記h部分の存する側に幅広く存しており、楕円形を呈する陥凹骨折も上、下縁とも弧をなすものの、上縁はやや平板で全体としていびつな形状をなしていて最陥凹部の前記m部分は前上部寄りにあり、陥凹骨折上縁の同図表のisunxy部分は、折離して内側に落ち込み、最陥凹部の前記m部分の前上部方向に当る同図表のs点付近が最も深い格好で、頭蓋骨との間に隙間を生じ、下縁の同図表のikt′s′v′oqlrjにも折離部分があるものの、落ち込んではいず、一応頭蓋骨と接した形を保ち、最陥凹部を前記m部分とするすり鉢状を呈する陥凹骨折部分全体が下縁の同図表qlrjの方向から上縁の同図表isunx方向に傾斜し、同図表isunxyzjの上部骨折の内板部分は斜めに前上方に向い、先端が鋭利な状態である一方、下部骨折の内板部分殊に同図表のqlrjの内板部分には全く骨折がなく、上縁の前記isunx部分の外周、つまりその前上縁部に挫滅状をなす複雑骨折部分である同図表、及び同vwの線状骨折が存し、頭蓋底部方向の上下縁にまたがる同図表のzjrl部分は、不定形の骨折縁を形成し、同yr、同zjrを結んだ線上にも骨折があり、同図表のyzry、同zjrzをそれぞれ結んだ二個の骨折片を形作り、yzryの骨折片は前記zr部分がめくれ上つた形で若干外側に浮き上がり、その周辺に同図表のハ、ロ、ニの線状骨折や亀裂骨折が存し、少なくとも同図表のrjzy部分は直接骨折とは考えられず、上縁から下縁にまたがる同図表isunxyzjrの骨折縁に対応した形の頭皮損傷が認められないこと等からすると、先端に直径約三・〇ないし三・八センチメートルの鈍円ないし鈍稜をなす突出部を有し、頭蓋骨に対してその断面が楕円状をなし作用面が曲面をなす鈍体が右斜め後方の下方から左斜め前方の上方に向う方向でまず突出部が前記h部分を強打して同部分の挫滅状を形成するとともにその衝突力が頭皮の伸展力の限界を上回つていたことから上創壁が鋭角的に斜めに入り込んだ別紙図表1のah、hbの裂創を形成させ、次いで鈍体の突出部分が前記m部分に嵌入して陥凹骨折である別紙図表2のisunxyzjrlqov′s′t′kを形成するとともに陥凹骨折上縁の前記isnxyzjの両端付近を除いた部分が内側から頭皮に食い込んで頭皮内面の損傷を惹起し、外側から形成された別紙図表1のafhbと同f点付近から同b点近くまでの範囲で連絡して約二・五センチメートルに及ぶ創洞を有する上部挫裂創である前記ah、hb(afhb)、を構成し、一方陥凹骨折下縁の前記ikt′s′v′oqlと鈍体の曲面との間に挾まれて下部挫裂創である前記cgdが形成されたと推認され、成傷器は、衝突部分の先端に直径約三・〇ないし三・八センチメートルの鈍円ないし鈍稜をなす突出部があり、頭蓋骨に対する断面が楕円形を呈し、周囲の作用面が曲面をなす鈍体であつて、形状自体からすると、新型ガス筒でも、卵形ないし馬齢薯のメイクイーン種のような形の石塊でも亡薫の損傷を形成することは可能であり、その作用方向は、前記のとおり、右斜め後方の下方から左斜め前方の上方に向う方向であつたと推定される。

(3) もつとも、前掲甲第二九号証、証人錫谷徹の証言(以下、錫谷鑑定という。)中には、ほぼ楕円形の陥凹骨折の長経の延長線上に長い線状骨折が上方(別紙図表2のイ)及び下方(同表のロ)に各一条ずつ派出していること、頭蓋腔内損傷として右側に頭蓋骨陥凹骨折の直下に硬脳膜の断裂とその下層の右中心後回、右上側頭回(側頭葉上回)に脳挫傷があり、左側に反対打撲として中心前回にだけ限局性の損傷の脳挫傷があることから右の両挫傷を結んだ線が外力の作用方向であるとして成傷器は、右後上から左前下の方向に向つて頭皮創傷、頭蓋骨陥凹骨折の存在する部分の表面に対してほぼ垂直に激突して右の損傷を惹起したものと推定し、新型ガス筒と模擬弾筒が成傷器として亡薫の損傷所見とよく一致して矛盾するところがなく、ほとんど断定に近い確からしさをもつてこの二種類のうち、いずれかが成傷器であると推定することができるとしているが、原本の存在及び成立につき争いのない乙第二一号証(佐野圭司ほか「衝撃による脳損傷の医学と力学」)によれば、反対打撲の形成機序については諸説があり、また、その発生機転も種種あるが、反対打撲は外力の加わつた側のほぼ反対側の対側脳に生ずるものと、脳の回転によるせん力によつて、骨稜等のある前頭葉・側頭葉底部等に生ずるものとがあるとされており、しかも、右乙第二一号証、証人木村康(第二回)の証言によれば、外力によつて脳が回転した場合の反対打撲は、必ずしも外力の作用方向に生ずるとは限らないことが認められ、前記認定のとおり、亡薫の小脳背側・小脳腹側の血管の充盈は、きわめて高度で、小脳背側には広くクモ膜下出血が存在し、延髄の腹側には蚕豆大の凝血が付着し、右側小脳扁桃には指頭大の出血があり、右側側頭極、直上回、眼窩回に脳挫傷が存在し、証人木村康(第二回)の証言によれば、右のような脳挫傷は、脳が回転したことによつて生じたもので、亡薫の前頭葉には脳挫傷がなかつたから、外力は前方よりもむしろ脳を回転させるような斜め後方から加わつたものであるというのであつて、錫谷鑑定のように左側の中心前回にだけある限局性の脳挫傷を反対打撲として、これと頭蓋骨陥凹骨折の直下の硬脳膜の断裂とその下層の右中心後回、右上側頭回の脳挫傷とを結んだ線の方向、つまり右後上から左前下の方向が外力の作用方向で、成傷器はほぼ頭部に垂直に衝突したと推定するのが適切であるか否かは問題の存するところであり、更に、同鑑定がほぼ楕円形の陥凹骨折の長径の延長線上に長い線状骨折が上方及び下方に各一条ずつ派出していることから成傷器がほぼ垂直に衝突したと推定した点についても、証人錫谷徹は、側頭部に外力が加わつた場合には線状骨折が上下に走ることが多いということを前提としたうえ、線状骨折の長さが長いことから成傷器がほぼ垂直に衝突したものと断定し、成傷器が斜めに衝突した場合でも上下に走る線状骨折が発生することはあるものの、それは、頭蓋骨が局所的に扁平化したことによつて生ずるものであつて、この場合の線状骨折は、長さの短いものしか発生しないというのであるが、しかし、外力の作用が局所的か否かは、外力の作用方向が真直ぐか斜めかもさることながら、結局は、外力の大きさによるとも考えられるばかりでなく、前記認定のとおり、亡薫の楕円形を呈する陥凹骨折は、全体としていびつな形状をなし、最陥凹部の別紙図表2のm部分は、前上部寄りにあり、陥凹骨折上縁の同図表のisunxy部分は折離して内側に落ち込み、最陥凹部の前記m部分の前上部方向に当る同図表のs点付近が最も深い格好で頭蓋骨との間に隙間を生じているのに、下縁の同図表のikt′s′v′oqlrjには折離部分があるものの、落ち込んではいず、一応頭蓋骨と接した形を保ち、最陥凹部を前記m部分とするすり鉢状を呈する陥凹骨折部分全体が下縁の同図表qlrjの方向から上縁の同図表isunx方向に傾斜しているなど成傷器が斜めに陥入した形状を示していることを考え合せると、成傷器がほぼ垂直に衝突したとすることには疑問があるといわなければならない。また、錫谷鑑定は、新型ガス筒及び模擬弾筒が亡薫の損傷所見とよく一致して矛盾するところがないとして、そのどちらかが成傷器であると断定に近い確からしさをもつて推定し得るとしているが、錫谷鑑定自体、成傷器の形状について直径二・七ないし三・五センチメートルの表面滑らかな球頭をもつた硬鈍体であるとしており、このことからすると、前記認定のとおり、亡薫の損傷は、形状的には卵形ないし馬齢薯のメイクイーン種のような形をした石塊でも発生可能であるということができるところであつて、錫谷鑑定が亡薫の損傷所見から成傷器は新形ガス筒ないしは模擬弾筒であると断定に近い確からしさをもつて推定し得るとする点は、適切な推論とはいえないといわなければならない。

(4) また、鑑定人三上芳雄の鑑定の結果及び証人三上芳雄の証言(以下、三上鑑定という。)によれば、亡薫の損傷は、上下に長い鈍縁状の硬い鈍体により形成されたと思考するとしたうえ、頭蓋骨の陥凹骨折の性状並びに模擬ガス筒の発射実験の結果からその成傷器を新型ガス筒とし、それが横斜めに浅い角度でその先端部が陥凹骨折の上端縁部にわたつて強く、尾部が軽く跳ねあがつた状態で衝突した公算が大とする。しかしながら三上鑑定も模擬ガス弾筒の発射実験の結果を踏えて新型ガス筒の飛翔態様を考慮に入れたことや陥凹骨折の長径の延長線上に生じた上下二条の線状骨折のうち、頭蓋底に入る下方の骨折にも着目して考察を加えている点は評価し得るものの、石塊の形状や表面の滑らかさ等が千差万別であることを考慮することなく、石塊が頭部に衝突した場合には、頭皮の損傷が頭蓋骨折と類似性のない不整形の挫裂創を形成することがほとんどであるとの一般論を前提として、亡薫の頭皮の損傷と頭蓋陥凹骨折の形状の類似性が大であることから直ちに成傷器を石塊とすることは無理であると結論づけている点や、横斜めに、尾部が軽く跳ねあがつた状態で衝突した公算が大であるとする論拠が必ずしも明らかでない点に難点があり、三上鑑定の存在は、前記認定を左右するには至らないというべきである。

(5) なお、前掲乙第二号証の二、証人斉藤銀次郎の証言(以下、斉藤鑑定という。)によれば、新型ガス筒のように先端部が鈍円状を呈しているものでは亡薫の頭蓋骨陥凹骨折のように中心部が著しく陥凹した骨折は起り難いものとし、その頭皮損傷のような複雑な挫裂創は、先端部が鈍円状を呈する新型ガス筒の衝突によつて生じたものとは到底考え難いとして、亡薫の頭部損傷は、攻撃面に稜角を有している(その一部が特に突出している。)硬固な鈍体の打撃によつて生じたものと推定し、その打撃方向としては上方(やや後方)から下方(やや前方)に向つて右頭頂部を強く打撃することによつて生じたものと推論して成傷器が石塊であることを示唆し、前掲の乙第一号証の一、証人松倉豊治の証言(以下、松倉鑑定という。)によると、亡薫の頭皮損傷と頭蓋陥凹骨折の相対関係はどこにでもある粗面凹凸の石塊の衝突ということで容易に理解できるところで、成傷器は、円筒型の鈍器に限られず、例えば、石塊と考える余地が多分に存するとするが、右の斉藤、松倉鑑定双方とも、亡薫の頭皮や頭蓋骨の現物を実見せずになされたもので、斉藤鑑定は、先端部が鈍円状を呈しているものでは、亡薫の頭蓋骨陥凹骨折のように中心部が著しく陥凹した骨折は起り難いものとする根拠が明らかでないばかりでなく、亡薫の頭皮損傷を複雑な挫裂創とし、上部挫裂創である前記のafhbと陥凹骨折上縁とが連絡している事実を考え難いものとし、上、下の各挫裂創の創洞は、いずれも、実際には前記認定のとおり、下(後)方から上(前)方に向つているのに、下前方に向つているとの誤つた事実を前提としたもの((もつとも、いずれも証言中で訂正(但し、創洞の方向については単に前方とする。)したと受取れる証言部分がある。))であり、また松倉鑑定は亡薫の頭皮の損傷と頭蓋陥凹骨折との対応関係について実際に亡薫の遺体を解剖した木村鑑定の所見と異なる別紙図面3の(2)の独自の対応関係を前提として成傷器をどこにでもある粗面凹凸の石塊と考える余地が多分に存すると結論づけている点で問題があり、いずれも専門的知識に基づく推論過程は別として結論をそのまま採用することは困難である。

(6) その他、前記(2)の亡薫の頭部損傷の発生機序及び成傷器とその作用方向についての推論認定を左右する証拠はない。

(7) そうだとすると、亡薫の頭部損傷の状況から推定される成傷器が先端に直径が約三・〇ないし三・八センチメートルの鈍円ないし鈍稜をなす突出部を有し、頭蓋骨に対してその断面が楕円状をなし、作用面が曲面をなす鈍体であることは、前記認定のとおりであるが、それが原告らにおいて主張する新型ガス筒かあるいは被告ら主張の投石による石塊なのかは亡薫の頭部の損傷の状況からはいずれとも決し難い。一方、成傷器の作用方向が右斜め後方の下方から左斜め前方の上方に向う方向であるとすると、前記認定の亡薫が受傷した際の亡薫と機動隊の位置関係に照らし、亡薫が、原告らの主張するように、身体を左側に寄じつて右肩を北側にして顔を後方の左肩の方に約九〇度回わした格好になつていなければ、機動隊員が発射した新型ガス筒を成傷器とした場合の作用方向とは一致せず、前記認定のとおり、亡薫の受傷時における振り返りの程度が原告らの主張する程深いものであつたとは認められないことに照らすと、この点は、むしろ、当時亡薫の立つていた位置の右側の方にいた反対同盟側(第四インター派と同一と認める。)の投石した石塊が成傷器であるとする被告らの主張の方が合理的であるということができる。

(四)  ところで、原告らは、反対同盟側(右同)の投石した石塊は、砕石であつて磨耗されていず、角は尖鋭であり、凹凸も激しく、稜も鋭角で、亡薫の後頭部の損傷状況から推断される成傷器の先端鈍円、鈍稜の半球状で衝突作用面の外周が円形又は楕円形を呈する物体とは全く適合せず、しかもプロ野球選手並みの者が助走したうえ、アンダースローで集団の最前列ないしそれに近い位置からしかも、真横に近い方向に投てきしなければならず、警察機動隊に向つての投石にしてはあまりに方向が違い過ぎるうえ、力学的観点からも投石によつては亡薫が負つた傷害を生じさせるに足るエネルギーを有する破壊力は生じないと主張するので、順次、これらの点について検討する。

(1) 第四インター派が投石した石塊の形状について

<証拠>によれば、第四インター派が投石用に用意した石塊及び現に投石されて路上に落ちた石塊の中には角が尖鋭で、凹凸も激しく、稜も鋭角のものばかりではなく、多少形を変えれば、先端が鈍円ないし鈍稜をなす丸味のある石塊の存在することが認められ、亡薫が受傷した当時投てきされた多数の石塊のなかには成傷器の特徴を備えたものもなかつたとはいえないと考えられるところであるから、第四インター派が投てきした石塊が成傷器ではないと断定することはできないといわなければならない。

(2) 投石の投法と投石者の位置及び投石方向のずれについて

前記認定のとおり亡薫の後頭部の損傷の状況からみて成傷器の作用方向が下方から上方に向つていることから石塊が衝突したとしても、それは下方から上方に向つて衝突しなければならず、証人木村康(第一回)の証言に照らすと、その投法はいわゆる下手投げの方法により投げられなければならないが一般的に投げ方として下手投げも決してめずらしいものではなく、前記認定のとおり、野戦病院となつた斉藤方前国道上において斉藤方を挾んで第四インター派と機動隊が対峙した際、第四インター派から多数の投石行為があり、大竹ガソリンスタンド前付近から引き続いて集団の前面や後方から投石されていたのであるから、なかには、集団の前面からいわゆる下手投げの投法で投石した者がいなかつたとはいえないし、右のように集団的に投石が行われた場合、投石方向にずれが生ずることも決してめずらしいことではなく、前記認定のとおり、第四インター派からの投石が斉藤方の庭等にも飛来してきていたことを考え合わせると、国道上で対峙した機動隊に向けての投石が国道沿いに位置した斉藤方入口附近にいた亡薫のところに飛来した可能性は否定できないところである。

(3) 投石による石塊の破壊力について

(イ) 生体の頭蓋骨骨折の成因の力学的な解明は、現在においても必ずしも容易ではないが、<証拠>によれば、機料力学では、動的な力が作用した場合の破壊の強度は、一般的には運動エネルギーに基づいて考察していることが認められ、本件のように、既に生じた頭蓋骨陥凹骨折が投石による石塊の衝突によつて発生するか否かの検討に当つても、衝撃力や接触面積等の検討もさることながら石塊の運動エネルギーの検討が重要な要因ということができ、その運動エネルギーが骨折を生ずるに必要な数値であれば、投石によつて亡薫の頭蓋骨陥凹骨折が生じ得ると考えることができる。

(ロ) そして、成立につき争いのない甲第三四号証(HANDBOOK OF HUMAN TOLERANCE 以下、ハンドブックという。)によれば、頭部を鋼鉄ブロック上に落下させることによつて行われた実験により頭蓋骨に単一の線状亀裂骨折を生ずるに必要なエネルギーは、四五・二〇ないし一一〇・七〇jouleであり、耳の上部領域においては平均して六九・四九jouleであるが、大きなばらつきがあり、それは、頭蓋骨の形状、厚さ、頭髪のついた頭皮の個別的な差異が原因で、また、一つの線状の亀裂が生じた後は、更に亀裂を生じさせたり、完全な破損を生じさせるのに非常にわずかなエネルギーしか必要でないこと、単一の亀裂骨折を生じさせるに必要な衝撃速度は、中央頭頂部の前部領域では五・八八m/sec、後頭部への減速による衝撃では四・八二m/secであつたことが認められ、証人佐藤進の証言によると、右のハンドブックは、頭髪付の乾燥していない頭部に対する実験結果に基づくものであつて、我国の学界及び実務界において非常に信頼されている書物であることが認められる。

(ハ) ところで、弁論の全趣旨から原本の存在及び成立の認められる乙第一六号証(磯部孝作成の鑑定書。以下、同鑑定を磯部鑑定という。)によれば、通常人を投手と別紙図表1

測定範囲

錫谷測定値

木村測定値

解剖時

切除摘出後

a―f

0.35

f―h

1.70

h―b

1.90

約2.0

f―h―b

3.60

3.7

a―h―b

3.90

約4.0

4.0

a―c

0.40

c―g―d

3.40

c―d

2.90

3.1

a―d

3.30

約3.5

3.5

c―g

0.80

0.8

g―h

1.80

1.8

b―d

0.60

c―b

3.30

(単位センチメートル)

錫谷鑑定書(写)(甲第29号証)の図1及び24の1)の表を転写

した投石実験の結果、重さ二〇〇グラムの石塊で投てき角度五度から二〇度、到達距離一〇ないし三五メートルで運動エネルギーは四七ないし五四joule、到達地点における速度二二ないし二三m/sec、水平面に対し三〇度、二〇度、四〇度、対象表面に対し四五度、五五度、三五度の角度で下方から衝突せしめた場合の各距離ごとにおける運動エネルギー、到達時速度等は、別紙図表4の表(1)ないし(3)のとおりであることが認められ、第四インター派の投石による損傷を考えた場合、本件現場における第四インター派の前面集団と亡薫との距離関係に近いと認められる到達距離一〇メートルの場合の運動エネルギー量は、前記ハンドブックの頭蓋骨に単一の線状亀裂骨折を生ずるに必要なエネルギー量の範囲にあるか、若干下まわる程度であり、またその衝撃速度はこれを大幅に上まわるばかりでなく、前掲の甲第一号証の二によると、石塊の直撃によつて頭蓋骨に円型状を呈する骨折が発生した事例のあることが認められる。

(ニ) もつとも、ハンドブックによると、亡薫の右後頭部の損傷部位に最も近いと考えられる耳の上部領域における単一の線状亀裂骨折を生ずるに必要なエネルギーは平均して六五・四九jouleであるとしていることは、前記認定のとおりであつて、右の数値は、磯部鑑定における通常人を投手に使つた投石実験の数値を上回るものであるが、ハンドブック自体が指摘しているように、骨折が生ずるために要する運動エネルギーには、頭蓋骨の形状、厚さ、頭髪のついた頭皮の個別的な差異如何によりその間には大きなばらつきがあるから、磯部鑑定の投石実験の数値がハンドブックの部位を限らない一般的に単一の線状亀裂骨折を生ずるに必要なエネルギーとされる四五・二〇ないし一一〇・七〇jouleの範囲内ないしそれに近似していれば、後頭部骨折の発生を否定し得ないところである。

(ホ) そして、一旦線状亀裂骨折が生ずると、その後完全な破損を生じさせるには非常にわずかなエネルギーで足ることは前記認定のとおりであつて、そうだとすると、通常人の投石による破壊力で亡薫が受傷した頭蓋骨陥凹骨折の生ずる可能性がないとはいえないというべきである。

(ヘ) この点について、証人佐藤進の証言から成立の認められる甲第三二号証、証人佐藤進の証言(以下、佐藤鑑定という。)中には、投石によつては亡薫が受傷したような頭蓋骨陥凹骨折を惹起することは不可能であるといえるとする部分があるが、同人の供述には種々変遷がみられるうえ、根拠のあいまいな点もありしかも前記認定のとおり、ハンドブックにおいても一旦線状亀裂骨折が生ずると、その後完全な破損を生じさせるには非常にわずかなエネルギーで足りるとされており、また、石塊の直撃により円形状の頭蓋骨折が生じた事例もあることからすると、佐藤鑑定の結論は、にわかに採用し難い。

m点、陥凹底面上の点

m′点、m点の穹窿面への投影点

錫谷鑑定書(写)(甲第29号証)の図4を基礎に作成した図面

測定範囲

錫谷測定値

木村測定値

i―j

5.20

k―l

4.50

4.50

n―o

3.50

3.50

n―m′

1.30

o―m′

2.20

p―q

0.85

1.00

s―t

0.25

u―v

0.60

v―w

約2.0

v―v′

3.90

s―s′

2.65

t―t′

2.90

kq

3.00

ql

1.70

l―j

1.65

nj

3.30

kin

4.05

x―w

1.00

i―m

2.10

j―m

3.30

o―m

2.55

2.00

n―m

1.25

1.50

m―m′

1.20

1.50

(単位センチメートル)

3以上、検討してきたところからすると、亡薫の損傷の成傷器は、損傷状況に適合する点で新型ガス筒である可能性があるとしても、投石による石塊も右の適合性を有することを否定できないばかりでなく、亡薫が受傷した際の位置関係からすると、第四インター派の投石による石塊が成傷器である可能性も高く、投石による破壊力やその他の点でも、亡薫の右後頭部損傷を生じさせる可能性を否定できないところであるから、原告らが主張するように、新型ガス筒が亡薫の右後頭部の損傷の成傷器であると認定することは困難であり、亡薫の右損傷が機動隊員である加害警察官によつて水平撃ちされた新型ガス筒の直撃によつて惹起されたことを前提とし、新型ガス筒の水平撃ちを違法行為とする原告らの本訴請求は、その前提を欠き、排斥を免れない。

第三よつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠原幾馬 裁判官円井義弘 裁判官小林春雄は、転補のため署名押印できない。裁判長裁判官篠原幾馬)

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